台湾人作家の声が聞こえるー

さまざまな言語と格闘し時代に翻弄され、体制に利用されそして禁圧されながらも生き抜いてきた台湾文学の根源と発展をたどる著者渾身の台湾文学研究書!


「台湾文学の発掘と探究」

下村 作次郎

 2019年8月30日発売
価格 6,600 円(税込
ISBN 978-4-8038-0363-1

A5判 上製 縦218mm 横150mm  厚さ32mm
重さ 740g  464ページ Cコード C0098


下村 作次郎(しもむら・さくじろう)
1949年和歌山県新宮市生まれ。関西大学大学院博士課程修了。博士(文学)。現任、天理大学名誉教授。 1980年8月から2年間、中国文化大学交換教授。 2000年9月から半年間、国立成功大学台湾文学研究所客員教授。主要著書は『文学で読む台湾 支配者・言語・作家たち』(田畑書店、1994年)、『よみがえる台湾文学』(共著、東方書店、1995年)、『台湾文学研究の現在』(共著、緑蔭書房、1999年)、『台湾近現代文学史』(共著、衍文出版、2014年)、その他、資料集『日本統治期台湾文学台湾人作家作品』(共編、全五巻・別巻、緑蔭書房、1999年)など。翻訳書に呉錦発編著・監訳『悲情の山地 台湾原住民小説選』(田畑書店、1992年)、『台湾原住民文学選』全9巻(共編訳、草風館、2002年~2009年)、孫大川著『台湾エスニックマイノリティ文学論 山と海の文学世界』(同、2012年)、シャマン・ラポガン著『空の目』(同、2014年)、同『大海に生きる夢 大海浮夢』(同、2017年)、陳芳明著『台湾新文学史』(共訳、上・下、東方書店、2015年)ほかの出版がある。

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書評掲載情報

2019年11月09日 図書新聞  11月16日号、第3423号 評者: 赤松美和子
2019年10月06日 毎日新聞  朝刊


はじめに

本書は、『台湾文学の発掘と探究』と題したが、多数の新出資料に基づいて考察した論考が多く、台湾文学における資料発掘と探究の足跡を反映している。

構成は三部十六章からなり、Ⅰ部は「台湾における頼和と魯迅、そして高一生」(全五章)、Ⅱ部は「台湾入『内地』留学生たちの文学-『フォルモサ』」(全五章)、Ⅲ部は「日本語文学-純文学と『大衆文学』」(全六章)である。

日本統治時代の「一九三〇年代~四〇年代前半」から戦後初期の「一九四五年~四九年」を扱っている。

Ⅰ部は、魯迅がキーワードである。筆者にとって台湾文学との出会いは、一九八二年に、当時の台湾大学中央図書館でたまたま見つけた『台湾文化』(第一巻第二期、一九四六年十一月)で組まれた「魯迅逝世十周年特輯」がひとつのきっかけとなっている。このことは、筆者の最初の著書である『文学で読む台湾』(田畑書店、一九九四年)で取りあげたが、本書では、当時は気づかなかった台湾人知識人にとっての魯迅文学の意味を新たに考えることができた。と同時に、日本における早期の魯迅の翻訳についても振りかえって、一九三七年出版の『大魯迅全集』(全七巻、改造社)の第一巻が、どのように翻訳・編集されているかについて明らかにし、さらに台湾における魯迅受容には、佐藤春夫・増田渉訳『魯迅選集』(岩波文庫、一九三五年)が大きな役割を担ったことなどを論じた。頼和については、頼和はいつごろからだれによって「台湾の魯迅」、あるいは「台湾文学の父」と称されるようになったのか、あるいは魯迅の「藤野先生」と、同じ医学部の恩師を描いた頼和の「高木友枝先生」について、両者の比較を通じて、翻訳と検閲の問題、さらに中国人作家と台湾人作家の絶望の深さについて考察した。高一生とはツォウ族の知識人で、日本名は矢多一生、民族名はウォグ・ヤタウユガナと呼び、白色テロで犠牲者となった。論考は、白色テロは原住民エリートにも襲いかかったこと、および理蕃政策のなかで育てられた原住民エリートに見る近代化について考察した。

Ⅱ部は、台湾の「内地」留学生が、一九三〇年代に帝都・東京で行った文学活動や演劇活動について論じたものである。台湾人の日本「内地」における文化運動は、一九二〇年代の社会運動から、プロレタリア文化運動期を経て三〇年代を迎えるが、この時期に日本の文芸復興運動の影響を受け、プロレタリア文学路線から「合法無難」な純文学路線に舵を取ったのが台湾芸術研究会である。該会は、一九三三年に日本語の文芸雑誌『フォルモサ』を創刊した。このⅡ部では、中国白話文学最盛期に、日本語文学の発展を促しか『フォルモサ』全三号の創刊から解体までの過程を、三〇年代のダイナミックな文学運動のなかで考察した。また、本研究で初めて明らかになった「北村敏夫」などのペンネームで活躍した呉坤惶が、中国左翼作家連盟東京支部の中国人留学生や、同じ植民地の朝鮮日人留学生たち、そして『詩精神』の日本人詩人、および秋田雨雀や村上知行らの劇作家と行なった、幅広い詩の創作活動や演劇活動を掘り起した。さらに、戦後はほとんど忘れ去られていた朝鮮入の舞踏家、崔承喜の台湾公演の足跡を跡づけた。

Ⅲ部は、一九三七年に台湾人としてはじめて『改造』の文学賞を受賞した龍瑛宗の「パパイヤのある街」の考察と、同じ植民地の作家でかつ『文芸首都』の同人として活躍した金史良の龍瑛宗宛書簡の発掘と研究、さらに龍瑛宗の発禁書『蓮霧の庭』(一九四三年発禁)の分析を通して、植民地の作家としての龍瑛宗の「絶望と希望」について論じた。

また、一九二三年の関東大震災後に起った円本ブームのなかで生れた日本の大衆文学が、台湾にとのような影響を与えたか、と同時に、最初の台湾の大衆文学として書かれた林輝焜の『争えぬ運命』(一九三三年)は、結局は読者不在の「大衆文学」であったこと、さらに戦後の一九四六年に書かれた葉歩月の科学小説『長生不老』と探偵小説『白昼の殺人』は、国民政府による日本語禁止によって舞台を失った「大衆文学」に終かったことを考察した。最後の章では、「佐藤春夫の台湾」について論じたが、佐藤春夫は植民地台湾に生きる台湾人の思想生活感情をはじめて近代文学のテーマに取りあげ、さらに台湾原住民族をはじめて近代文学の素材に取りあげた近代文学者であることを述べた。

以上、本書は佐藤春夫と高一生を除いて、主に台湾人文学者の台湾文学について論じたものである。一九二〇年代に生れた近代の台湾文学は、白話文、台湾話文、日本語、そして母語などの言語と格闘し、時代に翻弄され、体制に利用され、時に抑圧され、さらに政府に否定され、そして禁圧されながら生きてきた文学である。その過程で、多くの記録と、そして記憶が失われてきた。本書をまとめていると、これまでお会いした台湾人日本語作家の顔が眼に浮かんでくるが、そうした作家たちの声が本書に少しでも反映されていることがささやかな願いでもある。

目次

Ⅰ 台湾における頼和と魯迅、そして高一生
第一章 日本人の印象のなかの台湾人作家・頼和
第二章 虚構・翻訳そして民族-魯迅「藤野先生」と頼和「高木友枝先生」
第三章 文学から台湾の近代化をみる-頼和そして高一生
第四章 戦後初期台湾文壇と魯迅
第五章 戦前日本における魯迅の翻訳と戦後初期台湾

Ⅱ 台湾人「内地」留学生たちの文学-『フォルモサ』
第一章 台湾芸術研究会の結成-『フォルモサ』の創刊まで
第二章 台湾芸術研究会の解体-台湾文芸聯盟への合流から終焉まで
第三章 台湾人詩人呉坤煌の東京時代(1929年~1938年)-朝鮮人演劇活動家金斗鎔や日本人劇作家秋田雨雀との交流をめぐって
第四章 現代舞踊と台湾文学-呉坤惶と崔承喜の交流を通して
第五章 フォルモサは僕らの夢だった-台湾人作家の筆者宛書信から垣間見る日本語文学観とその苦悩

Ⅲ 日本語文学一純文学と「大衆文学」
第一章 戦前期台湾文学の風景の変遷-試論龍瑛宗の「パパイヤのある街」
第二章 龍瑛宗「宵月」について-『文芸首都』同人、金史良の手紙から
第三章 龍瑛宗先生の文学風景-絶望と希望
第四章 台湾大衆文学の成立をめぐって
第五章 「外地」における「大衆文学」の可能性-台湾文学の視点から
第六章 佐藤春夫の台湾-日月潭と霧社で出会ったサオ族とセデック族のいま

初出一覧

あとがき