わずか30年前のこと…中国の人々とこんなに豊かな関係を築いたひとりの日本人がいた!北京・天安門近く四合院で暮らした日々を綴るエッセイ集。

 

 

 

田畑ブックレット

老百姓、再び!

手代木 公助

2020年 3月 25日

発売価格 1,500円 + 税 

ISBN 978-4-8038-0372-3 Cコード C0095

 

A5判 並製 176ページ

縦 210mm  横 150mm  厚さ 12mm  重さ 280g

 

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紹介


1980年代半ば、若き日の「新中国」への思いを断ち切れずにいた著者は、三人の子供がひとり立ちすると、定年を待たず高校教師を退いて中国に渡った。それから5年間、広州、北京を遊歴し、北京では6.4天安門事件前後の1 年半、天安門近くの四合院で老百姓(中国語で庶民の意)とともに暮らした。当時北京に滞在する外国人はすでに少なくなかったが、著者の暮らしは彼らが望むようなものではなく、たとえ望んでも容易にかなうものではなかった。こうした老百姓との交流の中で、著者が何よりも大事にしたのは、彼らと人間同士の友情を温めることだった。
 本書前半は、著者がこうした中国体験を通じて綴ったエッセイを収録。後半は、晩年「ボケ」の進行との格闘の中で、軍国主義教育下での中国との出会いや自らの人間形成を回想した文章を収録する。

前書きなど


父は中国の市井の庶民の中に身を置き、彼らと人間同士の友情を温めることを何よりも大事にし好んだ。こうした中国への接し方は、おそらく幼少から父の中に形成されていた人間観にねざしていたのだろう。(中略)確かに急激な経済成長は彼らの価値観にも変化をもたらしている。しかし中国の人々とじっくり接する時、私たちは忘れかけていた人間の温もりを思い出す。
数千年の歴史が培った人間同士のつながりを何より重んずる伝統が今も息づいていることに気づき、そこに親しみをいだく日本人は少なくない。父がめざした「庶民ペースの交流」が、今日一層その重要性を増していると痛感する所以である。(手代木有児「序」より)

 

 

目次


序 

老百姓、再び!
中国文化の矛盾──漢字のこと
「牀前、月光明らかなり」
二年ぶりの北京──鍵
京劇のこと
六・四天安門事件
南京虐殺記念館で
張学良の「兵諌」
ある中国老人との対話──〝ママ〟のこと
楊正光先生のこと
梁さんのこと
文人白さん
金さん、廉さん夫婦
〝フハホト〟への旅
孔子と老子
中国のホトケ
北京で卵を買った
日本語と中国語の間

夷客回想録
幼稚園の友
小学一年の写真
祖父母と父母 72
神勅(天照大神のお言葉)と当時の教育
戦争中の少年時代
生き残った日本兵と脱走したアメリカ兵
のらくろと冒険ダン吉
「スギノはいずこ」
〝カルメン故郷に帰る〟

キセルとライター
勤労動員
海洋訓練のこと
「人民皆熊羆」──旧友OとKと
俺とアンタ──一人称と二人称
変格活用
陸軍幼年学校
応援歌
引っ越し十三回
西荻窪の下宿
二つの恋

夷客往来記
ボケと付き合う
会津弁と疎開者
イとエ
タバコと付き合って何十年?
就眠手続き
ボケの進行
江戸時代を懐かしむ
布袋尊と弁財天
紀元節、天長節
ジャン友宮崎君の死
マージャンのこと
イサクとゴロウとエイサクと
夷客断想
ベキラのふち
TTPかTPPか?
犬と猫
喜兵衛、又三の弟子となる

あとがき
手代木公助 主要著作目録

 

 

著者プロフィール


手代木公助(てしろぎ こうすけ)
1931年、福島県喜多方市に生まれる。55年、東京大学文学部卒業。58年、東京大学人文科学研究科修士課程修了。58年から59年まで、近代中国研究委員会研究員(日中関係史)59年から86年まで、私立、公立の高校に勤務。86年から91年まで、広州、北京に遊歴。この間、広州外国語学院、華南師範大学、北方工業大学等に勤務。94年から2010年まで、日中友好協会理事を務める。2015年、死去。
主な著書・論文に、『胡同の片隅から』(1992年 清水書院)、『北京の老百姓』(1996年 田畑書店)、「戊戌より庚子に至る革命派と変法派の交渉」(1966年 東京大学出版会『近代中国研究』第七輯)。訳書に、袁枚『子不語』〈全五冊〉(2008~2010年 平凡社東洋文庫)がある。