第14回日本編集者学会セミナー

生誕百年 没後十五年

水上勉の知られざる世界


11月15日付信濃毎日新聞に、11月10日に上田市まちなかキャンパスうえだで開催された第14回日本編集者学会セミナー「水上勉の知られざる世界」のレポートが掲載されました。



『雁の寺』や『飢餓海峡』などで知られる直木賞作家・水上勉が逝去して十五年になる今年は、氏の生誕百年の節目にも当る。水上文学の再評価の機運が高まりつつある今、戦後の文学界に大きな足跡を残したその豊かな経歴の始まりと終わりに隠された、水上文学の秘密を解く鍵ともなる、知られざる真実を探る。

2019年11月10日(日)
14:00ー16:30 (開場13:30) 

会場:まちなかキャンパスうえだ

〒386-0012 長野県上田市5 中央2丁目5番10号丸陽ビル1階

電話: 0268-75-0065

当日受付(予約不要) 資料代:500円  学生無料


第一部 敗戦直後の再出発 文芸編集者としての水上

生涯、旺盛な筆力を保ちつつ、信じ難い量と質を兼ねた作品群を遺した水上だが、まるで大河小説のようにドラマティックなその生涯を俯瞰すると、志を抱きつつ市井に雌伏した期間が案外長い。その間、「職業のデパート」と言われるほどの職業遍歴を経てきた水上が、もっとも注力した職業が「文芸編集者」だった。いわば「編集者としての水上勉」を、丹念な取材とインタビューによって『水上勉の時代』の中にまとめた気鋭の国文学研究者三人が、その苦節の時期を娘の立場から見ていた水上蕗子氏を交えて語り合う。

水上蕗子 (水上勉氏長女)  大木志門 (山梨大学准教授)  掛野剛史 (埼玉学園大学准教授)  高橋孝次 (帝京平成大学助教)

第二部 勘六山房の晩年 ─ 生活と芸術の編集制作者としての水上勉

水上勉は1989年6月中国旅行中に天安門事件に遭遇、帰国後心筋梗塞で九死に一生を得た後、1991年に上田に近い長野県北佐久郡北御牧村(現東御市)に居を移し、「勘六山房」を構えて、2004年9月に逝去するまでの13年間をここで過ごした。氏はこの地を一休の酬恩庵、光悦の鷹峯のような芸術村になぞらえて、執筆の傍ら、陶芸・絵画・竹紙漉き・農事・食・宴の場とすることを夢み、老と病の晩年に華やぎを添えることを目指した。その後、その志を慕い、何人もの若い芸術家がここに移り住み、共同制作を展開することになる。第二部では、現在も山房に拠点を置き、陶芸と竹紙漉きを続ける二人の女性芸術家に、水上勉の人間と思想を語っていただく。

角りわ子 (陶芸家) 小山久美子 (竹紙作家)

第一部

水上蕗子(みずかみ・ふきこ)

水上勉氏長女。

大木志門(おおき・しもん)

1974年生まれ。立教大学大学院文学研究科日本文学専攻博士後期課程満期退学。博士(文学)。現在、山梨大学大学院総合研究部教育学域准教授。著書に『徳田秋聲の昭和―更新される「自然主義」』他。

掛野剛史(かけの・たけし)

1975年生まれ。東京都立大学大学院人文科学研究科国文学専攻博士後期課程満期退学。博士(文学)。現在、埼玉学園大学人間学部准教授。共編著に『菊池寛現代通俗小説事典』他。

高橋孝次(たかはし・こうじ)

1978年生まれ。千葉大学大学院社会文化科学研究科博士課程修了。博士(文学)。現在、帝京平成大学現代ライフ学部助教。

第二部

角 りわ子 (すみ・りわこ)

1961年鳥取県境港市生まれ。1980年同志社大学卒。1988年京都市工業試験場陶磁器研修本科、専科修了。京都西山窯にて四年間修業。1992年京都ビエンナーレ入選。1993年より水上勉氏が主宰する長野県北御牧村(現東御市)勘六山房にて作陶を始め、現在に至る。各地で展覧会を開催。2003年魯山人記念食の器展で奨励賞受賞。日中文化交流会会員。

小山久美子 (こやま・くみこ)

1951年青森県つがる市生まれ。1992年より水上勉氏の教えを受け、長野県北御牧村(現東御市)勘六山房にて竹紙を漉き始め、現在に至る。勘六山の竹100パーセント使用。長年の試行錯誤により生まれた美しい質感と強度には定評がある。各地の展覧会に竹紙を出品。

問い合わせ先:日本編集者学会事務局 〒102-0074 東京都千代田区九段南3-2-2森ビル5階 ㈱田畑書店 内
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